Chapter 312

「トラウゴットは何故それほどまでに魔力圧縮を欲しているのですか?」

 わたしが尋ねると、トラウゴットは口を噤んだまま、何も言おうとしなかった。

「わたくしは全員の事情を詳らかにした上で物事の判断をするように、と常々言われているので、リヒャルダやハルトムートの意見だけで解任を言い渡すのではなく、トラウゴットの意見を聞くことにしました。けれど、トラウゴットに意見がなければ、そう言ってくださっても別に構いません」

 リヒャルダとハルトムートの意見を採用するだけですから、とわたしが言うと、トラウゴットが顔を上げた。

「私が魔力圧縮方法を知りたいのは、強くなりたいからです」

 わかりきったことを尋ねるな、というような顔になっているトラウゴットに、会話が聞こえていないはずの周囲の視線が厳しくなった。周囲の雰囲気が尖ったことに気付いて、わたしは軽く溜息を吐く。

「……トラウゴット、表情くらいは取り繕わなければ、後でリヒャルダの怒りが怖いですよ」

 グッと息を呑んだトラウゴットが、一つ息を吐いてスッと真面目な顔になった。わたしも表情を引き締めて、トラウゴットに向き合う。

 皆に厳しい目で見られているのはトラウゴットだけではない。わたしが主としてどのようにトラウゴットを扱うのか、側近達に見られているのだ。

 ……とりあえず、トラウゴットの意見を聞いて、その上で判断しなきゃいけないんだけど……。

 正直なところ、わたしとしてはトラウゴットが側近として残ろうが、辞めようが、別にどうでもいい。異性の護衛騎士と言うことで接する時間は少なかったし、コルネリウス兄様の方が慣れていて信頼できる。

 リヒャルダの孫だから、推薦されて側近に召し上げたのだけれど、まだそれほど接点があったわけでもなければ、良い印象を持っているわけでもない。リヒャルダとおじい様の孫だから、累が及ばない程度の処分にしたい、という認識でしかないのだ。トラウゴット自身に親身になって、というのはあまり考えていない。

 ……どうでもいいからって、聞き流さないようにしなきゃ。

 わたしがトラウゴットを見ると、トラウゴットも探るような目でわたしをじっと見て、それから、口を開いた。

「もう一度聞きます。トラウゴットが強くなりたいのは何故ですか?」

「ローゼマイン様の魔力圧縮を知って、コルネリウスとアンゲリカが強くなったからです」

「コルネリウスとアンゲリカに勝ちたいからですか?」

「……そうです」

 思い返してみれば、ずっとトラウゴットはアンゲリカとコルネリウス兄様を意識していた。何故、この二人に固執するのだろうか。

「トラウゴットは何故強くなりたいのですか? アンゲリカとコルネリウスはわたくしを危険な目に遭わせたことを後悔し、わたくしの護衛騎士として相応しくあるように、強さを望みました。トラウゴットは一体何のために強くなるのですか? 強さの先に何を望むのです? ハルトムートが言ったように、ヴィルフリート兄様に仕えたいのですか?」

 ヴィルフリートの側近は、ヴィルフリートが次期領主としての内定を取り消されてからも仕えてきて、非常に結束が強いのだ。新しく入れる者は派閥にも気を付けている。わたしの側近を辞めたからといって、そう簡単に入れるとは思えない。

 わたしがそう言うと、トラウゴットがグッと奥歯をきつく噛みしめたのがわかった。

「……私は誰かに仕えたいわけではないのです。おじい様のような騎士団長になりたいのです」

「おじい様とはボニファティウス様、ですよね?」

 今現在、騎士団長であるカルステッドではなく、ボニファティウスのような騎士団長というところに、わたしは軽く目を見張った。トラウゴットの年齢から考えると、騎士団長として働くおじい様の姿を見たことはそれほど多くないと思う。

 ……それとも、小さい時に見た強烈な印象で、どんどん美化されている、とか?

 とりあえず、トラウゴットにとっての目標がおじい様だということはわかった。強さを求める脳筋家系の血が濃縮している気がする。

「私はおじい様のように騎士団を率いて危険な魔獣を狩り、領地を守る騎士団長になりたい。そのために領地の誰よりも強くなりたいのです」

「騎士団長になりたいならば、確かに強さは必要ですわね」

 わたしはトラウゴットの言葉をひとまず肯定しながら、あれ? と首を傾げた。エーレンフェストの騎士団は領主とその一族、そして、エーレンフェストを守るためにある。そのため、騎士団長は基本的に領主の護衛騎士として働くことになるはずだ。

「トラウゴット、誰にも仕えずに騎士団長になるのは無理ではないかしら? 騎士団長は領主の護衛騎士をするはずです」

「おじい様は誰にも仕えることなく、騎士団長を務めていました。私もそうなりたいのです」

 ……おじい様が誰にも仕えることなく騎士団長として君臨していたのは、領主の子だったからなんだけど。

 おじい様の眉唾物の昔話は、わたしがユレーヴェから起きたばかりの時の食事会で聞いた。色々なエピソードがあったけれど、あれが全部本当ならば、神官長とはまた違った意味で、波乱万丈な人生だ。そんなおじい様の強さを存分に振るえる場所が騎士団だったため、先代領主の補佐をしつつ、騎士団長として騎士団に所属していたはずだ。

 騎士団長とはいえ、おじい様には領主補佐としての執務もあるため、領主の護衛騎士としては働いていなかった。それは神官長が騎士団に席を置いていた時も同じだったと聞いている。領主の子は側近にはならない。

 当然のことだが、それが上級貴族のトラウゴットには適用されるはずがない。

「あの、トラウゴット。それは……」

「ローゼマイン様は無理だと思われるかもしれませんが、コルネリウスと私ならば、昔は私の方が強かった。おじい様も私には素質があるとおっしゃいました。魔力圧縮方法を知っていれば、本当は私の方が強いはずなのです!」

 そう言って、トラウゴットが悔しそうに拳を握った。

 けれど、わたしはトラウゴットの言葉に首を傾げる。コルネリウス兄様とトラウゴットは年が近いとはいえ、二歳は離れているのだ。子供時代の二年は大きいし、わたしの魔力圧縮方法を知る前から、少なくとも護衛騎士に選ばれる程度にはコルネリウス兄様は強かったはずだ。

 ……もしかしたら、競争心を植え付けるつもりで、「まぁ、そうだな。トラウゴットの方が素質はあるぞ」くらいのおじい様の言葉を鵜呑みにした、とか? それにしても、本当にコルネリウス兄様より強かったのかな?

 当時からトラウゴットの方が強かったとは思えない。訓練の時にコルネリウス兄様が手加減してあげたと考える方が正解のような気がする。

 どんどんと自分の中でトラウゴットに対する興味が薄れていくのがわかった。

 ……あぁ、もう話は適当なところで切り上げて、図書館で借りてきた本が読みたい。

 わたしは早目に話を終わらせたくなってきたが、トラウゴットは言いたいことを言える環境に気分が乗ってきたようで、口が早くなってきた。

「私の方が強かったのに、ローゼマイン様の魔力圧縮方法を知った途端、その者達だけがぐんぐんと強くなり、おじい様は領主一族の護衛騎士ばかりを鍛えることに腐心して、私の訓練はしてくれなくなりました」

 その言い方に口惜しさが滲んでいる。大好きなおじい様に構ってもらえなくなったトラウゴットは可哀想かもしれないが、状況を考えれば仕方がないことだ。

 領主の館に貴族の手引きで賊が押し入り、シャルロッテがさらわれ、わたしは毒を飲まされて眠りについた。領主一族の護衛騎士を鍛え直すのは急務だった。領主の子であり、騎士団長だったおじい様ならば、エーレンフェストの危機と孫の一人を鍛えるのを天秤にかけるとは思えない。

「ずっと孫の中では私が一番おじい様に近かったのに、いつの間にかアンゲリカがおじい様の愛弟子と言われるようになり、孫の中で一番魔力が多くて強くなっているのがコルネリウスだと言われるようになりました」

 本来ならば、自分がその位置にいるはずだった、とトラウゴットが呟く。

 領主一族を守れるように護衛騎士は強くなければならない、とおじい様が重点的に鍛えたのは領主一族の護衛騎士で、その他には見向きもしなくなったそうだ。

「それはそうでしょう。ボニファティウス様は騎士団を引退しているのですもの。他の騎士を鍛えるのは、騎士団の上層部の仕事ではありませんか」

「だから、私は護衛騎士になりたかったのです!」

 トラウゴットはおじい様に認められることしか考えていない。だからこそ、次期領主としての内定取り消しを受けたヴィルフリートの側近にはなりたがらなかった。

「わたくしの護衛騎士を選んだのは何故ですか? シャルロッテの護衛騎士になっていれば、わたくしが眠っている間、領主一族の護衛騎士としておじい様に鍛えてもらえたでしょう?」

「シャルロッテ様は女性なので、護衛騎士は女性が多いです。異性の護衛騎士はどうしても少ないし、私は繋がりが薄かった」

 同じ派閥とはいえ、シャルロッテの側仕えや乳母とトラウゴットは関係が薄かった上に、どちらかというとヴィルフリート達と盛り上がって遊ぶ方が多かったトラウゴットは、シャルロッテに合わないと判断されたようだ。

 結果として、二年間眠り続け、側近候補が一度解散したわたしの側近を狙った。筆頭側仕えがリヒャルダで、おじい様の孫同士という関係もある。それに、わたしの護衛騎士となれば、目覚めた後、魔力圧縮方法を一番に教えてもらえるという計算もあったらしい。

「前は褒めてくれた父上も、コルネリウスの方が強くなってからは厳しいことばかりを言うようになりました。私は早く自分の魔力を上げたい。強くなりたい」

「トラウゴットのお父様というと、お父様、あ、いえ、カルステッドの弟君ですよね?」

 リヒャルダの情報によると、トラウゴットの父親は確かおじい様の第二夫人の子だったはずだ。そして、リヒャルダの娘と結婚したと聞いている。

「そうです」

 それから話してくれた内容によると、トラウゴットの父はカルステッドに比べられて育ってきたらしい。母親同士が張り合っていた部分もあるのだと思う。第一夫人の子で、騎士団長になったお父様をどのような感情で見ていたのか、詳しくはわからない。

 けれど、年の近いコルネリウスとトラウゴットの二人を鍛えていたボニファティウスが、トラウゴットに才能があると言ったことが、トラウゴットの父には殊の外嬉しかったのだろう。

 ボニファティウスに気に入られることを願って、トラウゴットに強さを求めた。その結果が今の状況に繋がっているようだった。

「ダームエルのような下級騎士があれだけ魔力を伸ばせるのです。私ならばもっと伸ばせるはずです」

 ……なんですと?

 ダームエルの努力を軽視するトラウゴットの言葉にイラッとして、芽生えつつあったトラウゴットへの同情心が一瞬で消し飛んだ。

 確かにダームエルは下級騎士で、いつだって魔力の少なさに嘆いていて、そのせいで好きな相手に対象外として見られるような状態だった。

 けれど、わたしにとっての重要度はトラウゴットとは比べ物にならない。一番古くからの付き合いで、一番信頼できるわたしの護衛騎士だ。わたしが平民だとわかってからもシキコーザから守ろうとしてくれたし、護衛として神殿に派遣されるようになってからはビンデバルト伯爵から命懸けで守ってくれた。

 魔力圧縮方法を知ってからもコツコツと真面目に努力して魔力を増やしてきたし、どのように戦えば効率的に戦えるか、ずっと考えて、魔力の扱いについてはおじい様に褒められるほどになっている。魔力と体力だけで突っ込んでいく今の騎士見習い達と違って、ダームエルは頭を使って戦うことができるのだ。

「ダームエルの魔力の伸びは彼の努力によるものです。成長期で上級貴族である分、トラウゴットの方が有利でしょうけれど、あれだけ真面目に努力する者はなかなかいません」

「下級貴族が真面目に努力したところで高が知れています」

 ……ふぅん? あ、そう。

 ダームエルの真面目な努力を鼻で笑った時点で、わたしの中でトラウゴットの切り捨ては決定した。護衛騎士同士がギスギスとした雰囲気になるのは嫌だし、お互いに尊重し合えない者はいらない。

 秀でたところがあるのを見ずに、下級貴族を馬鹿にするようなトラウゴットを自分の周囲には置いておきたくない。

 ……辞任させるのが一番だね。

 解任にすると、本人だけではなく血縁者にも傷がつく恐れがある。わたしとしては、トラウゴットなんかのためにリヒャルダやおじい様が不利益を被るのは避けたい。

 それに、変に逆恨みをされるのも面倒なので、トラウゴットが望んで自ら辞めたという状態にしておきたいのだ。

「とりあえず、トラウゴットの主張は理解しました。おじい様のようになりたくて、父親からの賞賛が欲しい。コルネリウスよりも強くなって、皆を見返したい。そのためにわたくしの魔力圧縮方法を知りたくて仕方がないのですね」

 わたしよりもずいぶんと形は大きいけれど、親の愛情を求める子供だ。親の愛情のために強さを求めるあまり、周囲が見えていないだけだ。それがわかっても、トラウゴットが成長できるように親身になって考えてあげようと思えるような愛情が全く湧かなかった。

「トラウゴット、今すぐに側近を辞任してくださいませ。その代わり、魔力の圧縮方法は教えて差し上げます」

「本当ですか!?」

 喜びに顔を輝かせ、トラウゴットが目を見張った。

「えぇ、冬の終わりに皆に教える時に、同時に教える対象に入れましょう。けれど、自力でお金を稼ぐことと、問題行動を起こさないことは守ってくださいね。これは側近云々や派閥には全く関係がない、基本的なことですから」

 わたしの側近はもちろん、ヴィルフリートの側近達も守ることだ、と言うと、トラウゴットは大きく頷いた。自分の望みが叶った喜びに打ち震えている。

「では、魔術具を置いて、皆の前で宣言してくださいませ」

 わたしが手に握っていた魔術具をコトリと置くと、トラウゴットも魔術具を置いた。そして、晴れ晴れとした顔で、側近の皆を見回して、高らかに宣言する。

「私、トラウゴットはローゼマイン様の護衛騎士を辞任します」

 解任だと言われていたのを、辞任にしたのだ。わたしに非難するような視線が向けられるのを感じた。特に同じ護衛騎士達からの視線が厳しい。一番怒りに満ちていて厳しいのは、リヒャルダの視線だったけれど。

 それらの視線を受け流しながら、わたしは首を傾げた。

「リヒャルダ、辞任に関して、何か手続きのようなものはあるのかしら?」

「姫様」

 咎めるような声を出したリヒャルダと違って、ハルトムートはスッと木札とインクを差し出してくれた。

「ローゼマイン様、こちらの木札に辞める旨を書いてもらえば良いのではありませんか?」

「ありがとうございます、ハルトムート。では、トラウゴット、こちらにわたくしの護衛騎士を自分の意志で辞めるということを書いてくださいませ。それで終わりです」

 トラウゴットは嬉々として木札に書く。

 インクで書かれた文字を見て、わたしは一つ頷いた。

「これで良いでしょう。これからトラウゴットは騎士見習いの一人、わたくしの護衛騎士ではありません」

「はい」

「トラウゴットはもう部屋に戻ってくださって結構です。後の説明はわたくしがいたします」

 わたしがそう言うと、トラウゴットはリヒャルダの刺すような鋭い視線から逃れるように、そそくさと部屋を出て行く。

 トラウゴットが出て行った瞬間、リヒャルダの怒りが爆発した。

「姫様、どういうおつもりですか!? トラウゴットのあの表情を見る限りでは、魔力圧縮方法を教えると約束したのでしょう? そうでなければ、あの子が簡単に辞任するとは考えられません!」

「その通りです」

 わたしの答えにざわりと側近達がざわめいた。「何故、魔力圧縮方法を?」と疑問の声が上がり、リヒャルダの目が三角に吊り上がる。

「姫様、失態を犯しているトラウゴットにあのような甘い対応をなさると、他の側近が不満に思いますよ!」

「……甘い、でしょうか? 全てが丸く収まる最良の方法だと思ったのですけれど」

「どこがですか!?」

 リヒャルダを始めとした皆が声を揃えたことで、わたしは首を傾げた。

「まず、最初に言っておかなければならないのは、わたくし、トラウゴットの事情を聞きましたけれど、全く親身になろうと思えなかったのです。成長して欲しいとか、何とか更生して欲しいとか、そういう気持ちになれなかったのです」

「でしたら、もっと厳しく……」

「だからこそ、これ以上トラウゴットに煩わされたくないと思いました」

 わたしの言葉に、側近達が目を瞬いた。ハルトムートが興味深そうにわたしを見ている。皆を見回し、わたしは自分の考えを述べた。

「トラウゴットを解任するのは簡単なのですよ。それだけの理由があるのですから。けれど、解任にしてしまうと、リヒャルダやボニファティウス様の名誉にも傷がつくかもしれません。トラウゴットはどうでも良いのですけれど、わたくしは自分の周囲の者に傷が付くのは嫌なのです。甘いとしたらリヒャルダに甘いのです」

「姫様……」

 リヒャルダだけではない。騎士見習いの教育がなっていないということで、シキコーザの時のように騎士団長であるお父様まで罰を食らうのは嫌だ。わたしにはトラウゴットを解任処分にすることでどこからどこまでに影響が出るのかわからないので、なるべく影響が個人に限定される辞任にしたかった。

「では、何故、魔力圧縮方法を教えることにしたのですか? あれは信用できる者にしか教えないものではなかったのですか?」

 コルネリウス兄様がお母様によく似た漆黒の目を険しくさせている。わたしはその目を真っ直ぐに見返しながら、問い返す。

「辞任したトラウゴットはどうなると思いますか? ヴィルフリート兄様の護衛騎士になれるとは思えません。わたくしが眠っている間になれなかったのですから、シャルロッテの護衛騎士にもなれません。リヒャルダが今回の顛末を報告すれば、メルヒオールの護衛騎士にもなれないでしょう」

「そうですね。解任されても仕方がないところを、辞任で勘弁してもらったのですから、その程度は当然でしょう」

「今は目先の魔力圧縮方法にしか視線が向いていないのでしょうけれど、すぐに現実が見えます。将来の展望が暗くなる上に、ここでの生活も精神的に厳しいものになるでしょう?」

 わたしの言葉にハルトムートが顎を撫でながらゆっくりと頷いた。

「今の状況を見ても、辞任したトラウゴットにローゼマイン様の側近が親しく接するとは思えませんし、ヴィルフリート様の側近も、旧ヴェローニカ派も、それ以外も、この数週間ですでにある程度のまとまりができています。そこにトラウゴットが入っていくのは難しいと思われます」

 それは皆も想像が容易だったのか、頷いた。これから先のトラウゴットの生活は決して安楽なものではない。それは共通の認識であるらしい。

「そこを他領の……アーレンスバッハなどに付け入られ、情報が流れる可能性もあるかもしれません。強さを求めるあまり、変な逆恨みをされる可能性もあります。ですから、魔力の圧縮方法を教えるのです」

「よく意味が理解できません。何故魔力圧縮方法を教えることに繋がるのですか?」

 ブリュンヒルデが不可解そうな表情で首を傾げた。

「だから、目先の餌が必要なのです。魔力圧縮方法を得るために、貴族院終了までトラウゴットは品行方正を心掛けてくれるでしょう。自力でお金稼ぐこと、問題行動を起こさないことは教えるための基本的な条件ですから」

 わたしはクスリと笑うと、ハルトムートが橙色の瞳を光らせてわたしを見た。

「得た後に手の平を返す可能性が高いのですが、それはどのようにお考えですか?」

「わたくし、自分の敵に回る者に魔力の圧縮方法を教えるつもりは毛頭ないのです。そのため、教える前に敵に回らないという項目がある契約魔術を全員と結ぶことになっています」

 それでコルネリウス兄様はすぐにわたしの目的に気付いたようだ。

「つまり、トラウゴットを契約魔術で縛るために、魔力圧縮方法を教えるということですか?」

「その通りです。わたくしは魔力圧縮方法を教えたいのではありません。トラウゴットが敵に回れないように契約魔術で縛っておきたいのです」

 辞任にすることでトラウゴット以外には傷が付かない。魔力圧縮方法を教えることで、トラウゴットの逆恨みや敵対行動を制限できる。魔力が多い貴族が増えること自体はエーレンフェストにとっては望ましい。敵対することがなければ、尚更だ。

 トラウゴットは知りたかった圧縮方法を知ることができて、仕えたくなかったわたくしの側近を辞めることができる。

「全てがとても上手く収まったと思うのですけれど」

「姫様、それではトラウゴットに対する罰が全くございません!」

 リヒャルダが厳しい顔で首を振った。けれど、今はトラウゴットをあまり追い詰めない方が良い。派閥を超えてある程度のまとまりを見せつつある貴族院での雰囲気が壊れてしまう。

「魔力圧縮方法を知って、強くなり、騎士団長になりたいと言っていたトラウゴットの望みは、いくら努力したところで叶わないのです。それは罰になりませんか? 自らの手で将来への道を閉ざしてしまったことを知った時の絶望を考えれば、これ以上ない罰だと思いますけれど」

 トラウゴットの罰は今ではなく、将来に背負うものだ。

 わたしの言葉にリヒャルダは、他の者にもわかるような罰を、と言う。

「貴族としての位を剥奪し、神殿にでも入れて反省させた方が良いかもしれません」

「……リヒャルダはそれほどわたくしに怒っているのですか?」

 わたしが泣きたい気分でリヒャルダを見ると、リヒャルダは驚いたように目を丸くした。

「対応が甘いとは思っておりますが、姫様に怒っているわけではございませんよ」

「では、神殿送りだけは勘弁してくださいませ。神殿は神殿長であるわたくしの領域です。せっかく側近から辞任させたのに、青色神官として送られてきたトラウゴットの面倒を見なければならないなんて考えたくないです」

 わたしが絶対に嫌と頭を振ると、コルネリウス兄様が小さく笑った。

 笑い事ではない。神殿はわたしのテリトリーだ。下級貴族であるダームエルをあのように蔑視するトラウゴットが灰色神官や灰色巫女を相手にすれば、どのような態度になるか、わからない。神殿送りにされた八つ当たりをされることになれば、側仕えになる灰色神官が可哀想ではないか。

「そして、青色神官としての教育のために、わたくしとフェルディナンド様の時間が奪われるのでしょう? わたくしにもフェルディナンド様にもトラウゴットにかけるような無駄な時間はないのです。教育したいならば、仕事に差し支えない範囲でリヒャルダやおじい様がすれば良いではありませんか。わたくしはもう関係ないのですから、トラウゴットをこちらへ向けないでください」

 わたしの言葉にリヒャルダが「さようでございますね」と少しだけ目を伏せた。

「対外的には甘い対応に見えますが、見事に切り捨てましたね。その潔さが素晴らしいです」

 ハルトムートが楽しそうに笑った。自分の思う通りになったような満足そうな笑顔だ。

 その笑顔を見て、わたしは少しだけ目を細めた。わたしはハルトムートにも全く不満がないわけではないのだ。

「この際ですから、言っておきます、ハルトムート」

「何でしょう?」

 余裕たっぷりのハルトムートを見据えて、わたしは口を開いた。

「わたくしに情報を提供するのが義務だと言うのでしたら、知り得た情報は勝手に公開する前に、まず、わたくしに教えに来なさい」

「ローゼマイン様?」

「どこから情報を得たのかは問いません。それだけの情報を得て来られる腕前は素晴らしいものだと思います。けれど、わたくしの知る文官は得た情報を全て上司に報告していました。その中の情報をいかに使うかは上司に任されていました」

 全てを神官長に委ねているユストクスの在り方と比べると、ハルトムートはわたしの意に染まない情報の扱い方をする。

「ハルトムートがわたくしのために得た情報だと言うならば、情報の扱いも公開の時期もわたくしが決めます。ハルトムートが自分にとって都合の良い情報だけを都合の良い時に公開するならば、わたくしのためだとか、側近としての義務という言葉を使うのではありません」

 ハッとしたような表情になったハルトムートが一度立ち上がり、その場に跪いて頭を垂れる。

「肝に銘じます」

 こうして、側近が一人減り、わたしの食後の読書時間も大幅に減って、話し合いは終わった。