Chapter 316
アウブ・エーレンフェストである私は、現在貴族院から帰還するはずのローゼマインを待っていた。あれが貴族院へと行って以来、次々と意味不明で不穏極まりない報告書が届くようになったのだ。
例年ならば、「特筆すべきことはございません」という木札が届けられるだけなので、特に貴族院の動向に気を留めることはないのだが、今年は違った。
……こんなに頭を抱えたくなるのは、初めての領主会議以来だ! さっさと帰ってこい、問題児!
貴族院から初めて報告書が届いたのは、まだ進級式さえ始まっていない土の日だった。出発前に決まっていなかったローゼマインの側近決定の知らせがヴィルフリートから届いた。
まだ次期領主をヴィルフリートにしたいと考えている私は、ヴィルフリートに寮の統制を任せるつもりなのだ。来年、シャルロッテが入学するまでの期間に、少しでも有利な立場を取っておくように、と言い含めてある。ローゼマインと協力すれば、それ程難しいことではないはずだ。
……む、頑張っているようだな。
私は初めての報告書にざっと目を通す。思いついたままに書いているところがあるが、内容がわからないわけではない。
側近に関しては、ローゼマインの目覚めが近いと知らせがあった時から、ある程度選定が行われていたので、下級貴族の文官見習いと中級貴族の騎士見習いを除いては予定通りだった。
「シャルロッテ、ローゼマインの側近が決定したのだが、フィリーネとユーディットがどのような人物か知っているか?」
その日の夕食時、貴族院での兄姉の様子を聞きたがるシャルロッテに尋ねてみた。冬の子供部屋の統括に励んでいるシャルロッテならば知っているかもしれないと思ったのだ。
「ユーディットはお姉様の護衛騎士のアンゲリカに憧れている騎士見習いです。わたくしの護衛騎士にどうかと打診したのですが、できれば、アンゲリカと同じようにお姉様にお仕えしたいとお断りされたことがございます」
望み通りの護衛騎士になれたのですね、とシャルロッテが目を細めた。そして、フィリーネは冬の子供部屋の中で最もローゼマインの絵本作りに心酔し、眠っているローゼマインのためのお話集めに奔走し、目覚めを待っていた文官見習いだそうだ。
「フィリーネはこの冬の初めに忠誠の誓いを立てておりました。お姉様はよくわかっていらっしゃらなかったようですし、フィリーネも決意表明をしただけのように見えました。周囲の目が厳しかったので、下級貴族が側近に取り立てられることはないと思っておりましたが、お姉様はフィリーネを側近としたのですね」
どうやら、どちらもローゼマインに忠誠心はあるようだ。側近に関して心配はなさそうであることに、私は安堵の息を吐いた。
しかし、私の安堵はほんの束の間の事だった。一週間後の土の日にヒルシュールから届いた定期報告書には簡潔で意味不明な項目がたくさん並んでいたのだ。
「進級式でエーレンフェストの女子生徒が全員驚くほどに髪に艶があったことと、見たことがない髪飾りを挿している幼い容貌のローゼマイン様に注目が集まりました」
「一年生全員が座学に一発合格いたしました。エーレンフェストではどのような勉強方法がとられているのか、先生方の間で噂になっています」
「ローゼマイン様が作曲した音楽が先生方の目に留まり、お茶会への誘いを受けたようです」
「騎獣作成でローゼマイン様がグリュンの騎獣を作ったところ、担当教師が騎獣で襲われたと言い出しました」
「ローゼマイン様の魔力圧縮方法をわたくしにも教えてくださいませ」
「ローゼマイン様が図書館の魔術具の主になりました。神々のお導きだそうです」
「神の意志を採取する最奥の間でローゼマイン様が行き倒れ、教師による捜索隊が出されました」
ヒルシュールは「特筆すべきことはございません」以外の報告もできたのか、と妙な関心をしたのが少し、次から次へとローゼマインは一体何をしているのだ!? と頭を抱えたくなる気分が大半を占めた。
……どの項目もローゼマインに関することばかりではないか!
大半は流行発信と成績向上から出てくることなので、理解できる。グリュンの騎獣に目を剥く教師がいるのも仕方がないと言える。魔力圧縮に関しては、ヒルシュールが上手く誤魔化してくれたのだろう、と推察できたし、病み上がりの体力のなさを考えれば行き倒れる姿は目に浮かんだ。
……だがしかし、ローゼマインが神々のお導きで図書館の魔術具の主になったというのだけが意味不明だ。何だ、これは!?
「フェルディナンド、貴族院からこのような報告書が届いたのだが、ローゼマインは図書館で一体何をしでかしたと思う?」
フェルディナンドならば、師匠の暗号めいた文章を解読できるのではないかと考えて、私は呼び出すと、届いた木札を差し出した。ざっと目を通したフェルディナンドが肩を竦める。
「……ヒルシュールの報告はずいぶんと簡潔ですね。私のところに届くヴィルフリートの報告書の方がまだ詳しいようです」
「ヴィルフリートの報告書だと!? 聞いておらぬぞ」
「私宛ての質問書でしたから」
文官達の手前、公的な姿勢を崩さないフェルディナンドの言葉は簡潔で、意味不明と苛立ちに輪をかける。私は軽く机を叩いた。
「フェルディナンドとカルステッドを除いて、退室せよ」
人払いして、「ヴィルフリートの質問書とは何だ?」と睨むと、フェルディナンドは片方の眉を少し上げた。
「ローゼマインの扱いに関する質問書兼報告書だ。毎日のように不備のある報告書が届けられて、指摘の日々が続くのもいささか面倒に感じていたが、ヒルシュールの報告書に比べれば、まだわかりやすかったのか」
その後、フェルディナンドが自分の執務室から持ってきた報告書の写しを見せてもらって、私は眉間をぐっと押さえた。「図書館に登録に行って、ローゼマインが王族の魔術具の主になりました」では、全くわからぬ。
たが、ヴィルフリートが一生懸命にフェルディナンドに質問書を書いているのはわかった。厳しい言葉で添削されているが、全くめげずに報告書を作成しているところがすごい。
その報告書を見れば、エーレンフェストの成績向上にずいぶんと努力したのだな、とのんびり構えていた一年生の一発合格が、図書館登録を餌にされたローゼマインの暴走した結果だったことがわかる。まさかそんなことになっていたとは誰も思うまい。
しかし、フェルディナンドは「当然の結果だ」と軽く肩を竦めた。
「私は奉納式までにローゼマインが講義を終えられるように計算して、講義終了まで図書館への立ち入り禁止を申し渡した。本人だけの努力で何とかなる範囲ならば、問題はなかったはずだ。目的に向かって突進する様子に便乗したヴィルフリートが愚かだったのだ。ローゼマインの扱いはそれほど簡単ではない。神殿図書室に入るためならば、平民が前神殿長に直訴して、大金貨一枚を差し出す程度には手段を選ばないのだぞ?」
「……そういえば、そんな話を聞いたことがあったな。大袈裟でも何でもなかったのか」
洗礼式のために初めて神殿に踏み込んだ平民が、図書室に入るためだけに、あの叔父上に直談判して巫女見習いになるなど、無謀すぎて作り話を聴いている気分だった。事実だと思えば、かなり頭が痛い事態だ。よくもそんな馬鹿なことができたものである。
「アレの図書館解禁に他人を巻き込むような馬鹿なことをしたのだ。貴族院の図書館を餌にされて、ローゼマインが止まるわけがない。巻き込まれた一年生は気の毒だが、ヴィルフリートは自業自得だ。むしろ、他の一年生に深く詫びろ、と助言しておいた」
……が、頑張れ、ヴィルフリート。父は応援しているぞ!
「それで、図書館登録に行って魔術具の主になった、というのは何だ? ヴィルフリートの報告書でも全く理解できぬ。貴族院の図書館には魔術具があるのか?」
ローゼマインはこの城でも図書館へと嬉々として足を運んでいるが、私にとって図書館は資料を収めている場所で、文官に言って必要な物を取ってきてもらう場所だった。貴族院の図書館も自分で足を運んだことはなく、そこにある魔術具もよく知らない。
貴族院時代にヒルシュールの助手のような事をして、図書館へも足繁く通っていたフェルディナンドに尋ねると、貴族院の図書館を思い出すように目を細めて呟いた。
「図書館の魔術具といえば、シュバルツとヴァイスだと思うが、あれの主は中央から配属された上級貴族のはずだ。ローゼマインが主になった過程は、私にもよくわからぬ。魔力量に任せて奪い取ったのか? いや、それは無理だろう。勝手に書き換えなどできぬよう、主以外は触れることができぬように複数の守りがついていたはずだ」
「結局、何が起こったのかよくわからぬな」
カルステッドも共に悩む中、フェルディナンドだけは楽しそうに唇を歪めた。
「神々の導きという言葉から、祝福が関係しているような気がする。確信は持てぬし、仮に祝福だとしても何故主になるのかはわからぬが……本当にローゼマインがシュバルツとヴァイスの主となったのならば、あれを研究することもできそうだな。ローゼマインの帰還に一つ楽しみが増えた」
……師匠が師匠ならば、弟子も弟子だ。この研究馬鹿が。
少々わけがわからないことがあるが、ヒルシュールとヴィルフリートの報告書を合わせて考えると、成績の向上や新しい流行の発信はひとまず順調と言えなくもない。
「一年生の座学合格も終えたようだし、後はローゼマインが自分の講義を終えるために奮闘するだけだ。講義が終わった後は図書館に閉じこもるであろうから、おとなしく籠っていれば、それほどの問題は起こすまい」
フェルディナンドの言葉に安堵の息を吐いていたら、その翌週もヒルシュールから頭が痛くなるような報告がやってきた。
「奉納舞でローゼマイン様が第二王子と接触しました。王子は聖女と呼ばれているローゼマイン様を警戒しているようです」
「騎獣に関する良くない噂を払うため、わたくしが複数の教師を連れて、ローゼマイン様の担当となりました」
その報告書を読んで、私はフェルディナンドを呼び出した。ローゼマインと王族に接触があったのは、非常にまずい気がするのだ。
「王子とはたった一年しか在学が被らぬし、奉納舞以外で顔を合わせることなどないから、何とかなるかと思ったが、どうにもならなかったようだぞ、フェルディナンド。どうする?」
即座に人払いし、報告書を見せると、それを見ていたフェルディナンドがこめかみを軽く叩いた。
「どうすると言われても……王子はローゼマインの騎獣に興味を示しただけだそうだ。それも他との約束を優先させたらしい。ローゼマインを試していたのだろう。奉納舞も合格したようだし、王子はこれ以上の接触がなければ問題ない。一番の問題は、王子との約束を、講義に合格して浮かれて忘れかけていたローゼマインだ」
「はぁ!? 王族との約束を忘れかけただと!?」
目を丸くする私の前に、ヴィルフリートの報告書の写しをフェルディナンドに突き付けられた。ヴィルフリートが注意しなければ、寮に帰る気満々だったローゼマインの様子が書かれていて、気が遠くなりそうだった。いくら何でもローゼマインの優先順位はおかしい。
「ローゼマインは図書館に入れるようになるまで、このままだ。周囲が上手く誘導するしかないが、接する時間が少なかったから難しいであろう。だが、エーレンフェストとして気にしなければならないのは、むしろ、ヴィルフリートがアーレンスバッハからお茶会の招待を受けたことだと思う」
「何!?」
ヒルシュールからの報告にはなかった重要項目に私は目を見開いた。数枚が重ねられた報告書の中から、該当する物を探し出し、目を通す。
「アーレンスバッハとフレーベルタークの領主候補生と従姉弟ばかりでお茶会だそうだ。血縁ではないと、ローゼマインの参加は断られたらしい。とりあえず、お茶会での話題を厳選し、その答え方についてはローゼマインともよく話し合っておくように、と助言はしておいた」
貴族院での本格的な社交の始まりは、領主候補生や上級貴族が講義を終える冬の半ばを過ぎてからになる。ローゼマインが奉納式のためにエーレンフェストへと帰還した後、ヴィルフリートは一人でお茶会に臨むことになるのだ。本当に大丈夫だろうか。
「従姉弟同士のお茶会がこなせぬようでは、次期領主などなれるわけがない。貴族院の社交が始まるまで十分な準備期間はあるのだ。あちらからの質問があるまでは余計な手を出すな。基本的に貴族院は子供達が学ぶ場で、極力領地からの口出しは禁じられているのだから」
「ヴィルフリート様も成長されている。当時のジルヴェスターよりしっかりしてきたくらいだ。周囲の助言を乞い、それを聞く耳があれば、大丈夫だろう」
アーレンスバッハが絡んできたことで、何とも言えない不安を感じていたが、その翌週は比較的穏やかに過ぎたようだ。
「シュタープの講義にも一発合格でした。ローゼマイン様は全ての講義を優秀な成績で、それも、たった二週間で終えられました。今年の一年生の最優秀候補です。何故あれほど魔力の扱いに長けているのでしょうね?」
「昨日、図書館司書とローゼマイン様が個人的なお茶会をしたようです。カトルカールというお菓子と新しい紙についての質問を受けました。答えをください」
「来週には音楽の先生方とのお茶会があり、第1位クラッセンブルクの領主候補生が同席するようです」
ヒルシュールの報告書に並んだ項目を見ていた私は、ローゼマインがほぼ二週間で早々に講義を終えたという項目に目を見張った。優秀だとは聞いていたが、それはあくまでも二年前のことで、眠っていたローゼマインには厳しい貴族院生活になるのではないかと危惧していたが、そんなことはなかったようだ。
「ローゼマインはもう終わったのか。だが、ヴィルフリートの成績はどうなのだ? 報告書がローゼマインのことばかりで、他の事が全くわからぬではないか」
「ほぅ、ウチの娘はなかなかやるな。コルネリウスの成績が上がったのもローゼマインのおかげだとエルヴィーラが言っていたから、優秀なのはわかっていたが、貴族院で最優秀候補になるとは」
他の学年に比べると、一年生の講義はそれほど難しくはないので、どの生徒もそれほど悪い成績は取らない。ただ、平均点が高い分、最優秀に選ばれるのは難しくなる。二週間目にして候補となるならば、全講義でほぼ満点を取っていると考えて間違いないだろう。
「……この報告書を見せれば、父上が喜びのあまり興奮しそうだ」
「伯父上が興奮すると碌なことにならぬから、ギリギリまで黙っておけ」
「うむ。興奮状態で特訓されれば、ダームエルが可哀想だからな」
カルステッドと共に溜息を吐いていると、フェルディナンドは一人だけ、表情を険しくして、じっと木札を睨んでいた。
「ヴィルフリートの報告書には、音楽教師のお茶会にクラッセンブルクが同席する記述などなかったぞ。……ローゼマインはすぐにでもエーレンフェストに呼び戻した方が良い。嫌な予感がする」
「だが、それは教師とのお茶会だろう? 一体どんな理由をつけて呼び戻すつもりだ? ヴィルフリートの講義は終わっていないのだから、領地の一大事というわけには行かぬぞ」
すでに約束が交わされているお茶会を欠席するならば、それなりの理由が必要になる。領地の一大事を理由に遠ざけるのは常套手段だが、この場合、ヴィルフリートが巻き込まれることになる。
「体調不良で数日部屋に閉じ込め……られぬな。嫌な予感がするという曖昧な理由で図書館の禁止をした方が余計な問題を起こしそうだ」
解禁されたばかりの図書館を禁止にすれば反動がすごかろう、とフェルディナンドがこめかみを押さえた。
「ローゼマインに社交を経験させることも大事だからな。宮廷作法の講義に合格しているならば、それほど大変な失敗はすまい」
カルステッドの楽観的な展望が通用するローゼマインではなかった。ローゼマインの扱いに最も詳しいフェルディナンドの意見を聞き入れておけばよかったと後悔したのは、その次の週の終わりに解読不能な報告書が届いた時だった。
「音楽の先生方とのお茶会で、カトルカールと新曲の披露をし、楽師の腕前がほめられていました。ローゼマイン様はその場で作曲し、王子の不興を買ったようです」
「シュバルツとヴァイスの採寸をいたしました。見知らぬ魔法陣の数々に魅了されました。これは研究のし甲斐があります」
「ダンケルフェルガーとのディッター勝負に呼び出されました。ローゼマイン様の奇策によりエーレンフェストが勝利しました」
「ローゼマイン様が王子の呼び出しを受け、貴族院に滞在中はシュバルツとヴァイスへの魔力供給をすることになりました」
作曲で王子の不興を買い、ディッター常勝のダンケルフェルガーに奇策で勝利し、王子からの呼び出し……不穏すぎる項目の数々だが、詳細が全くわからない。
ローゼマインのせいで、毎週土の日は貴族院からの報告に頭を抱える日となっていた。人払いした執務室で報告書を並べて、簡潔すぎる報告書に三人で頭を悩ませるのだ。
「今週は一体何があった? 簡潔すぎて全くわからぬぞ、ヒルシュール! フェルディナンド、ヴィルフリートからの報告書があるだろう!?」
「あるが、こちらも意味不明だ。ヴィルフリート自身はローゼマインに同行したわけではないため、詳細がわからぬようだ。ローゼマインの側近からも話は聞いたようだが、王子の呼び出しでは人払いされていたらしいからな」
だが、それでもヴィルフリートの報告書はヒルシュールよりも詳細だった。
お茶会で王子に作曲を依頼され、ローゼマインがその場で作曲したところ、王子の不興を買った。だが、王子の不興に関しては、クラッセンブルクの取り成しがあったため、特に問題ないようだ、と音楽教師が言っていたらしい。
「王子の不興に関しては問題ないかもしれぬが、クラッセンブルクに借りを作ったのではないか?」
「カトルカールとリンシャンと髪飾りと紙の流行を広げているところだ。次の領主会議で何を言われるか、だな。頑張れ、ジルヴェスター」
……くっ、フェルディナンドめ! 次の領主会議を想像しただけで、頭が痛くなってきたぞ。
「シュバルツとヴァイスの採寸にヒルシュールが張り切りすぎて、午後の講義を放棄。これは何となく想像ができるな。だが、図書館の魔術具を欲した他領から襲撃を受けそうだと聞き、ヴィルフリートが寮で待機していたら、ディッターでローゼマインが奇策を用いてダンケルフェルガーに勝利して帰ってきた? 次の日にローゼマインは王子から呼び出しを受けた? どういうことだ!?」
「大半が推測になるが、他領とはダンケルフェルガーだろう。襲撃を受け、それを穏便に終わらせようとルーフェン辺りがディッター勝負を言い出したのではないか?」
「……なるほど」
フェルディナンドの言い分には一応筋道が通っているような気がする。
「ローゼマインの奇策とは一体何だったのであろうな? あの練度の騎士見習いを率いて、ダンケルフェルガーに勝利するのは簡単ではないぞ。誰も彼も自分が突っ込むことしか考えていない、連携が全く取れていないのだからな」
ローゼマインが眠っていた二年間、新人教育を一手に引き受けていたエックハルトが、ボニファティウスの特別特訓に取られてしまった。騎士団の上層部はあまりにひどい新人騎士に困り果てている状態らしい。
「ローゼマインが戻ったら、ディッター勝負に関しては詳しく聞きたいものだ。奇策が冬の主討伐に生かせるかもしれぬ」
「呑気なことを言うな、カルステッド! ローゼマインは王子からの呼び出しを受けているのだぞ!」
エーレンフェストは中立と言えば聞こえは良いが、影響力のなさと先代領主が臥せっていたことから中央から相手にされなかっただけだ。このように王子と接触が増えれば、嫌でも次の王位継承騒動に巻き込まれることになる。
アーレンスバッハと不穏な空気が漂っている中、中央にまで煩わされるのは、正直なところ勘弁してほしい。私の手に余る。
「だが、貴族院内で衝突があれば、王子に呼び出されるのは仕方がなかろう。貴族院内で収まってまだ良かったではないか」
「それはそうだが、絶対に次の領主会議でダンケルフェルガーに色々と言われるに違いないではないか。クラッセンブルクにダンケルフェルガー、下手したら王族もだ。この三者に囲まれるなど考えたくないぞ」
「……それにアーレンスバッハが加わるのか。確かに、考えたくないな。面倒この上ない」
領主会議について事前に対策を練っているフェルディナンドが、心底嫌そうな顔で頭を振った。
「もうローゼマインを呼び戻せ。これ以上の問題を起こさせるな。領主会議が怖すぎる」
私が頭を抱えてそう言うと、フェルディナンドは呆れたように肩を竦めた。
「これ以上領主会議での問題を増やしたくなければ、クラッセンブルクのお茶会は行かねばならぬだろう。あそこは王族との繋がりが強すぎる。すでに打診を受けているならば、これから断れるわけがない」
「うっ、断るのも行かせるのも頭が痛いぞ。きっとまた何かやらかすに違いない」
「ローゼマインだからな。お茶会が終わったら、なるべく早く呼び戻すことにしよう」
次の領主会議に行きたくない、そう考えていると、フェルディナンドがトントンと木札を軽く叩いた。
「ローゼマインは魔力圧縮を第四段階にすることに成功していて、自分の側近の褒賞としたとあるが、あの馬鹿者、これ以上圧縮するつもりか?」
「第四段階だと!?」
私が目を見張ると、カルステッドがゆっくりと顎を撫でる。
「独断で側近の褒賞にするということは、おそらくすでに契約した者には教えても問題ないくらいの思い付きなのではないか? 戻ってきてから尋ねれば良い。王族や大領地のあれこれと比べれば些細なことだ」
そう言っていたカルステッドが目を細めて、木札の一番下の項目を指差した。
「む? これは何だ? トラウゴットが辞任? 報告書には、解任ではなく、辞任である辺り、ローゼマインは甘いと思われます。リヒャルダは激怒していました、とあるが、肝心の理由が全く書かれていないぞ」
「リヒャルダが激怒するならば、勤務態度が悪かったに決まっている。おそらく辞任にすることで更生の余地を残したのだろう。領主候補生に解任されてしまえば、先はないからな。相変わらずアレは甘い」
「だが、周囲に解任した方が良いと思われるような辞任だろう? トラウゴットは本当に大丈夫だろうか?」
「周囲に解任を望まれるような無能など、どうでも良いではないか」
フェルディナンドは特に興味もなさそうにそう言って、軽く頭を振ったが、カルステッドは、トラウゴットが異母弟の子であるため、気になるようだ。難しい顔で木札を睨んでいた。
そして、クラッセンブルクとのお茶会が終わった次の日にヴィルフリートから報告が届き、それをフェルディナンドが持って来た。
報告書によると、お茶会は実に和やかに終わったらしい。クラッセンブルクの領主候補生にリンシャンを一つ融通することになったそうだが、王子への取り成しをしてくれたことを考えれば、それくらいならば許容範囲内だ。多少なりとも借りを返せたかもしれぬ。
ローゼマインとて、問題を起こさずにお茶会もできるのだな、と胸を撫で下ろしたのは束の間の事だった。お茶会から三日も経たずに緊急で送られてきたヴィルフリートの報告書に、私はローゼマインのように卒倒したくなった。
「いつも通り図書館に行っていたローゼマインが王子に連行され、会談中に意識を失って、運び出され、王子からの詫び状が届いた!? これにどう対処すれば良いか!? ローゼマインを即刻帰還させろ! これ以上貴族院に置いておいてはならぬ!」
王子からの詫び状への返礼はローゼマインが対処するしかない。ヴィルフリートには「むしろ、ローゼマインがご迷惑をおかけいたしました」と王子に詫び状を送り、王子に連行された事態が周囲にどのように受け取られているのか調べるように申し付ける。
「……何というか、たった数日で抜き差しならぬ状態になっているな」
「ここまで王族が関わってくると誰が予測した?」
ヴィルフリートの報告書を前に茫然としたまま、三人で頭を抱えるしかなかった。
ローゼマインには体力が回復したらすぐに戻れと命令したのに、戻るにも準備が必要だと三日も帰還が遅れるという連絡がヴィルフリートから来た。王子への返礼や不在の連絡をしておいてもらわなければ、後が困るという理由に、「ずいぶんと先が見えるようになったな」とフェルディナンドが満足そうに頷いていたが、そういう問題ではない。
帰還命令を出してからローゼマインが帰還するまでが長かった。こんなに長い三日間は私にとって初めてだったと言える。
ローゼマインの帰還を伝えれば、シャルロッテや伯父上は嬉々として出迎えにやってきた。控えの間で期間を待つ間に、ローゼマインが貴族院で行ったことを軽く伝える。
「ローゼマインがディッター勝負ですって!? なんて危険なことを!」
「ダンケルフェルガーに勝つとは、さすが私の孫!」
「倒れて寝込んで帰還が遅れるなんて、お姉様は大丈夫なのでしょうか?」
そんな感想が行き交う中、やっと帰ってきたローゼマインは図書館に籠っていたかったのに、と不満顔だ。おとなしく、問題を起こさずに籠っていてくれれば、こちらも帰還命令など出さずに済んだのだから、悪いのはローゼマインである。
「君に聞きたいことが山ほどある。何がどうなって、大領地クラッセンブルクや第二王子と個人的なお茶会をすることになったのだ? その内容や付き合い方によってはエーレンフェストが中立ではなく、第二王子の派閥に入ることになるわけだが、まさか何の考えもなく、お茶会をしていたとは言うまい?」
フェルディナンドの言葉にローゼマインがさっと顔色を変えた。
……何も考えていなかったな?
こちらが毎週の報告書に頭を抱えていたというのに、考えなしに問題を引き起こしていたローゼマインを前に、三人で視線を交わしあう。
「さぁ、行こうか。奉納式までに君の話を聞く時間はまだたくさんある」
帰還準備の三日間に王子から髪飾りの受注をしていたことが発覚し、「この馬鹿者!」と三人の怒声が揃うことになるのは、すぐ後の事であった。